強迫性障害。自分への声かけ効果とその他コツ。

このところ「問題が見出せない、だからどう

しようもない」と自分に声かけし、強迫で身

動きが取れない状態から抜け出す練習をして

います。

 

「誰もいない(だから加害は起こり得ない)」

という声かけにすると「いるか」「いないか」

の二択を強迫状態で迫ることになり、判断がま

ちがっているのではないか?という疑念を生じ

させやすく、またあとになってその状況を想起

した場合、もう少し他の要素も確認するべきだ

ったのではないか?という後悔も生じやすいで

す。

 

その点「何も問題が見出せない・・」という声

かけは、少なくともその時点では何も見い出せ

ないという事実確認をしているだけで、判断を

迫るものではなく、後悔しようにも「その時点

では、どうしようもなかった」と完結していま

す。

 

このところは毎朝、この声かけで自室からマン

ション前まで移動しています。徐々に時間が短

縮しているような気もします。それよりも、コ

インランドリーやコンビニといったその他の状

況で、強迫状態から切り抜けやすくなっており

「じーっと眺めて動かない」といったことが減

ったように思います。

 

その他、

「心は穏やかで落ち着いている」

「現実的な決断ができる」

「力を尽くして行動療法ができる」

をつぶやきながら、歩いています。その言葉の

内容の効果は無意識的にあるのかもしれません

が、それよりも言葉をつぶやくことで「あれ?

なんだったっけ?」などと忘れることもあり、

強迫から意識を逸らすことがややできているよ

うに思います。

 

部屋からマンション前への移動にしろ、コンビ

ニからの帰り道にしろ、後半に至るにしたがっ

て強迫的になっていきます。

 

「ここは引き返してしまう」といったポイント

もありますが、直接的に引き返しを抑えようと

するとかなり難しいですが、引き返しをやむを

得ずとして、他の確認を省略しても、引き返し

にこだわっていた分、確認の省略が気にならな

かったりします。

 

そういった小さなコツを使いつつ、日々チャレ

ンジを続けています・・

強迫性障害。できる我慢をどんどんしていけば、強迫は改善するか?

強迫性障害にあっては、一時の安心が未来

の不安を強めるという皮肉なロジックが悪

循環を生みます。とにかく確認して安心を

する、という作業を我慢しなければなりま

せん。

 

日常の中で細々、確認したい欲求が生まれ

ます。トイレから出るとき、後ろ手にドア

を閉めたとき、そういったときに、振り向

いて確認をしたいと思いますが、はたして

それらを我慢して、蓄積的に強迫が改善す

るかは定かではありません。ただ、やって

みるしかありません。

 

確認したい欲求が生じた時、いちいち「こ

れは強迫観念、これは常識的な確認」と分

別するのは困難です。ただ「これはさすが

に強迫観念」とわかる場合があるので、そ

のときに我慢すれば良いと思います。

 

作業所では「明日も来る」「接する人はみ

んな知り合い」といった安心感が働き、確

認欲求を我慢しやすいです。気持ちに余裕

のあるときは、比較的強い不安であっても、

理屈で抑え込むことができます。

 

昨日は、帰り際、何度カバンを確認しても

(貴重品)、なぜか安心できない感じがし

ました。不安なままでしたが、「充分確認

した」「明日も来る」といった思いが助け、

それ以上の確認を我慢することができまし

た。

 

「強迫を治す」という本では、確認を我慢

できたことを「勝ちを拾う」と表現してい

ます。作業所でどんどんプチ勝ちを拾い、

症状が改善しますように・・

強迫性障害。不安の中を「えいっ!」と前に進む方法は?

「強迫を治す」の著者は、たとえ話として「10

階建てのビルの屋上から足を踏み出す」というお

話をされています。

 

自分がビルの屋上だと思っているのは錯覚で、頭

では自分が地上にいることがわかっているのだけ

れども、もし錯覚でなかったら、落ちて転落死す

る・・という不安な状況の中、どのように足を踏

み出すか?という問題です・・

 

結論的に、SSRI等の内服で不安を下げるしかない

ようです。10階ではなく2階なら、なんとかな

るのではないか。

 

10階の不安の中「えいっ」と足を踏み出すのは、

勇気というよりヤケクソであろうと著者は考えて

いるようです。そしてヤケクソで足を踏み出せる

人は、そもそも強迫性障害になっていないと。

 

私は1種類のSSRIを上限量までに飲み、さらにもう

一種の抗うつ剤を飲んでいますが、10階の不安

が2階になった実感はありません。とはいえ、や

はり王道は、

①内服による不安の軽減

②2階程度の不安から挑戦する

ということだと思います。

 

仕事などをしていると、いちいち不安を選んでい

られませんが、少なくとも現在の私の生活は、か

なり選べます。

 

このところの「えいっ」が必要なとシチュエーシ

ョンは、毎朝のマンションから出る作業です。2階

くらいの不安だと思います。

 

本来2階レベルの不安ではありませんが、部屋から

出る時点ですでに鍵やコンセントの確認で頭が強迫

状態にあります。その状態でエレベーターやオート

ロックに臨むので、2階レベルの不安に格上げされて

しまいます。

 

このところ「何も問題が見出せない、だからどうし

ようもない、えいっ」と前に進み、徐々に時間は短

縮されていると思います。はたして、このままジリ

ジリと克服されていくのか、どこかで頭打ちするの

か、それはわかりません。

 

これまでそうであったように、計算通りにはいきま

せん。

 

私は症状が強く自転車に乗れませんが、車はもっと

ダメです。以前、自転車2か月→原付2か月→軽自動

車2か月・・という段階的アプローチで克服しようと、

頑張って自転車に2か月乗ってみましたが、慣れるど

ころか強迫が悪化してしまい、自転車に乗れなくなっ

てしまいました。

 

結局、苦手に挑戦するだけではダメで、さらに確認

を減らすことを徹底しないとうまくいかないようで

す。

 

やはり挑戦するなら、挑戦するだけで精一杯のもの

を選ばず、挑戦して尚且つ確認が減らせそうな課題

を選ばなければならないでしょう。

 

ひとまず私は、マンションから出るのが精一杯では

ないので、確認を減らすのが課題です。

不安と強迫性障害の発症。

不安解消行動(強迫行為)を促すのは、観念

という質的概念ではなく、不安という量的概

念であるようです。不安が伴わなければ、観

念はただの空想になります。

 

心身が弱っていると不安を感じやすくなりま

す。私が強迫性障害を発症したのは、鬱に罹

患してから15年程経った頃です。慢性的な

抑うつ状態を抱え、心身が弱っていたと思い

ます。その隙に付け込んで来たのが強迫です。

 

何度も休職しましたが、改善しないまま復帰

するので、いくらでも隙はあったと思います。

定かではありませんが、鬱のほうがややマシ

になったかな、と思ったときに強迫が湧いて

きた感じがします。結局、根本的に解決して

いないので、どこかで膿を出そうとするので

しょう。もしくは強迫として膿が出ていなか

ったら、脳梗塞などの身体症状に出ていたの

かもしれません。

 

そこから15年、大きく改善することなく経過

しています。もしかすると当時の無理が、脳

梗塞は起こさないまでも、脳に何らかの器質

的な変化を起こしたのではないか、とさえ思

います。

 

強迫性障害にあっては、過去の経緯や、発症

の原因の追究は無意味とされています。ひた

すら行動療法に励むしかありません・・

強迫性障害。自分への適切な声かけの検討。

映画「アド・アストラ」を観てから、自分

へ具体的な内容で声かけする方法を試して

います。

 

現在、もっとも使うのは「何も問題が見出

せない、だから、どうしようもない」です。

主に確認が止まらなくなり、身動きが取れな

くなったときに使います。その時点では冷静

な判断力を失っているので、感覚的には何か

をやらかした感じがしています。そこで自分

に声かけし「どうしようもないんだから、前

に進め」と促します。

 

これは、あとあとその状況を想起してしまっ

たとき「少なくとも、そのときは何も問題が

見出せなかった」と後悔が生じにくい声かけ

です。その声かけをしていなかったら「もっ

と確認しておけばよかった」などの後悔が生

じやすいと思います。

 

そもそもあとになって想起すること自体が避

けたほうが良いので、本来は、想起しかけた

時点で、

①強迫観念を打ち消すのは良くない。

②強迫観念と議論するのは良くない。

③強迫観念は雲のように扱う。

といったことを思い出し、スルーするのがベ

ターです。

 

「何も問題が見出せない、だからどうしよう

もない」は、加害強迫に限らず、確認強迫等

もカバーするので、パワーとしては弱いです

が、オールマイティーです。

 

以上は、強迫観念で身動きできない時を想定

していますが、もう少しライトな状況であれ

ば、加害強迫にピンポイントな声かけでも良

いように思います。「誰もいない(だから加

害は起こりようがない)」。ただ、この場合

は確認や、その他の気になる点はカバーして

いないので、想起してしまったときに「誰も

いなかったけど、××の確認はしなかったので

はないか」といった疑念が生じやすいです。

「誰もいない」はシンプルで比較的パワーが

あり使いやすいフレーズですが、オールマイ

ティーではないので、深刻な状況には適切で

ないかもしれません。

 

確認をし始めてしまうと、概ねライトであっ

た状況もヘビーな状況に移行します、なので、

最初は「誰もいない」と声かけして進んでも、

徐々に「何も問題は見いだせない」に移行し

がちです。

 

余裕のあるときに「誰もいない」という声か

けで動く練習をしておいたほうが良いかもし

れません。

 

迷うのは、比較的調子が良く、声かけの必要

を感じないときに、敢えて声かけの練習をす

るのは有効か否かという点です。

 

条件付けという観点からすれば、声かけの必

要のない状況であれば、声かけせずに前に進

んだほうが、良い条件付けができるような気

がします。とはいえ、何事も練習しておかな

いとできないので「誰もいない」と声かけし

て前に進む練習も、どこかでしておいたほう

が良いように思います。

 

自分の状態というのは意外とわかりません。

どれほどの確認や声かけが必要な状態なのか、

もしくは何も必要が無いのか。実際にやって

みて「あ~確認が足りなかったから不安だ」

「声かけしておけばよかった」とわかります。

 

練習は、自分の状態がわかる同じシチュエー

ションで行うのが良いかもしれません。

 

さきほど、両親のグループホームへの郵便物

をポスト投函に行きました。比較的調子が良

いと思っていましたが、投函するころには「

封筒が半分消えたから半分入っている」「あ

と3cm」と問題なく投函されている様子を認

識しようと躍起になりましたが、どうにも確

信が持てませんでした。その後、帰り道では

振り向いた道に何も問題がないということが、

どうしてもわからず「何も問題が見出せない、

だからどうしようもない」と声かけし、前に

進みました。調子が良いと思っていても、一

度強い強迫的な脳の使い方をするとその後が

ボロボロになります。

 

まだまだ治癒へは遠い道のりを感じます。ひ

とまずは自分への声かけをしながら粘るしか

ありません・・

強迫性障害。行動療法の意義。日々是闘い。

薬物療法は不安を下げる効果しかありません。

なので、薬物療法は行動療法をするための土台

作りに過ぎません。

 

行動療法の意義は、

①誤った条件付けの解除、もしくは正しい条件

付けへの更新

②成功体験

です。

 

①は直接的に病理を改善させる代わりに、無意

識下で起こります。なので、その場で効果を感

じることはありません。不安の対象に対して不

安解消行動(強迫行為)で応じるとき、条件付

けが強化されます。逆に強迫行為で応じないと

き、条件付けが弱化されます。効果を感じると

すれば、次に同じ不安を感じたとき、条件付け

が弱化されているので、不安が軽減されていま

す。「強迫を治す」の著者は、これらのことを、

気合を込めて「条件付けをぶった斬る」と表現

しています。

 

②は意識の上で起こります。なので、不安に対

して強迫行為をせずに我慢できたとき「やった!

」という達成感と次への自信につながります。た

だ、自信という危うい要素なので、行動療法とし

てはサポート的存在であり、やはり①がメインで

す。

 

強迫症にとって強迫行為はガソリンです。行動療

法はその供給を止める行為です。

 

薬物療法は、行動療法の土台作りに過ぎませんが、

やはり必要だと思います。私もSSRI抗うつ剤

を継続して飲んでいますが、効果の実感はありま

せん。ただ、薬をやめるとその効果がわかるので

は?と推測しています。それを実験的にやってみ

るほど、日頃余裕がありません。やはり不安は強

いです。抗うつ剤をやめてもすぐに効果が消える

わけではありません。長ければ数か月効果が持続

します。つまり、結果出るのに数か月はかかるの

で、日々是闘いの強迫患者にとっては手痛い実験

です。

 

”条件付けをぶった斬る”といっても、なかなか斬れ

るものではありません。明らかに気になって確認し

たくてしょうがないものを我慢すると、それは相当

に苦しい闘いになります。なので日頃は、明らかに

気になるものは確認する場合が多いです。ただ具体

的な根拠のない不安、種々雑多な不安、つかみどこ

ろのないそこはかとない不安、そういったものを斬

るようにしています。その調子なので、私はなかな

か治っていません。

 

成功体験による自信は、コンディションによって大

きく変化します。なので当てになりません。抑うつ

状態にあるとき自信は枯渇しがちです。なので成功

体験以前に、抑うつ状態に陥らないようコンディシ

ョンを整えるほうが大事かもしれません。

 

強迫行為は強迫症にとってのガソリンであることを、

しっかりと認識することで、やや歯止めがかかるか

もしれません。知識として持っていてもなかなか現

場では使えません。

 

昨日は、

①銀行ATM

②コンビニ

③ゴミ出し

④郵便物の準備

などしましたが、すべてが不安との闘いです。ひと

つ予定が終わるとホッとする、というより「あれっ

?」と思います。やはり頭ではたいしたことをして

いないとわかっているので、終わってしまうと「私

は何をそんなに闘っていたんだろう?」と、しっく

りこない感じです。

強迫性障害の二分思考と、不安そのものを恐れる気持ち。

「だいたい大丈夫」という状態は、強迫患者

にとって不安を誘発する状態でしかありませ

ん。なので、大丈夫か否か、白黒ハッキリさ

せたがります。そもそも、この世の中に絶対

大丈夫という状態はないのでナンセンスなの

ですが、長年の思考の癖でそうなります。

 

見落とされがちなのは、強迫患者は不安その

ものを非常に恐れているということです。思

考は最悪の結果まで及んでいない場合も多い

です。それ以前の不安を抱えたままま過ごす

時間を恐れています。

 

これは思考の癖というより、長年不安そのも

のに苦しんできた結果なのでやむを得ません。

ただ、徐々に慣れていかなければ強迫は治り

ません。

 

少なくとも、二分思考をやめる、不安を恐れな

い、といったことは簡単にできないということ

を前提に治療を進めなければなりません。

 

行動療法では不安階層表を作り、不安の軽いと

ころから挑戦します。不安の軽いところでしつ

こく、二分思考と不安を恐れる気持ちに面と向

かい慣れていきます。私がそうであるように臨

床心理士がついて指導をしてもらってもうまく

いきません。結局、我慢できない自分と「我慢

ではなく受け流すんです」という謎アドバイス

の狭間で苦しむことになります。

 

結局は我慢です。でもうまく段階的にアプロー

チすれば我慢もしやすいと思います。少なくと

も、私もこの半年の改善はゼロではないことか

ら、上手くないなりに我慢できているというこ

とかもしれません。

 

様々なライフイベントで行動療法は加速も減速

もします。

 

継続するモチベーションを維持するのは難しい

のですが、このところは・・

物価高騰に対する給付金や、作業所の給料とい

う名の給付金、それらを大きく捉え「自分は国

費で強迫の治療に専念している」と考えます。

すると行動療法はNASAの宇宙飛行士同様任務で

す。力を尽くして任務を行おう、という気になり

ます。

 

さらにNASAのワッペンを買ってTシャツに貼り付

け、ますます自分を盛り上げようと考えています。

問題はワッペンを貼るのにアイロンを使いますが、

火の元が心配です(笑)。そこを乗り越えるパワー

がNASATシャツで湧くか、今後検討していきたいと

思います。