強迫観念が起こると、確認せずにはいられませんが、
確認を繰り返すうち、簡単にゲシュタルト崩壊が
起こります。果てして自分は、何を確認して安心を得よう
としていたか?目の前の情景は視覚情報として入って来ます
が、認識ができなくなり、確認→安心の構図が極めて不明瞭
なものになります。
そんなとき、左右の眼球運動を伴う視覚的な確認をすると、
不明瞭であったものが、やや形を成し、本来の構図が見えて
くる場合があります。
それならば、積極的に使えばいいところですが、やり過ぎ
ればオーバーヒートを起こすかのように、ますます強迫症状
を助長し、また毎回、効果があるわけでなく・・と、そこに
法則性を見出すのは困難です。
強迫の症状も、日差、日内変動あり、その時、必要最低限な
確認をしてやり過ごせば良いのですが、残念ながら、自分が
どの程度の強迫状態にあるか?ということは、自分でもわかり
ません。症状が弱い感じがするので、確認も少なく・・と判断
すると、確認が足りずあとで引き返すことになったり、症状が
強い感じがするので、いつも以上の確認をすると、余計なこと
をした感覚で意気消沈したり(行動療法としてマイナスとなり
ます)、といったように、いつまで経っても傾向はつかめません。
あくまで個人的につかんだ感覚として眼球運動は、起こって
しまった強迫観念を弱めるには適さず、苦手なシチュエーション
の予防線として使うのが、良いように思います。
私は、横断歩道や踏切などが非常に苦手です。今日は調子が悪い
と感じるときは、歩調に眼球の左右運動を合わせる感じで、左右
確認しながら進みます。そうすることで、通過後強い強迫観念が
起こることが少なくなり、場合によっては素通りできます。
今後も、EMDRについて情報を集めつつ、実地で検証しつつ、
手技的方法として眼球運動が使用可能か検討していきたいと
思っています。