現在通っている心療内科には一昨年の2月から通って
います。強迫性障害の悪化をきっかけに通い始めまし
たが、現在のほうが症状は重度です。その間、多少の
波はありましたが、少なくとも改善することなく、そ
もそも低いスタートラインから下がっては上がりを繰
り返したあげく、現在の低いラインに落ちている、と
いう感じです。
先日、診察を受けましたが、主治医の言は要約すると
「薬は一定の効果を認めるので継続」ということです。
ひょっとすると鬱症状は抑えているのかもしれません
が、強迫性障害の症状はほぼ抑えていないでしょう。
このやりとりを月に一回ペースで続けているいるわけ
ですが、診察に通うモチベーションとしては尽きてい
ると思います。あとは、診断書等の依頼先の確保とい
う意味合いがほとんどになっているように思います。
以前、15年程通っていた心療内科に戻ることも考えます
が、症状悪化の為、電車に乗って遠方に通うのが困難で
す。それほどの意義があるかと自問すると、そうでもな
いように思います。総じて行き詰っているように感じま
す。
カウンセリングは昨年10月くらいから始めましたが、カウ
ンセラーさんとのやりとりが2つに集約されつつあるよう
で・・
①「強迫観念が我慢できない」という私に、
「我慢ではなく受け流してください」とカウンセラーさん。
②「強迫観念と闘うパワーがない」という私に、
「闘うのではなく雲のように扱ってください」とカウンセラ
ーさん。
この2つやりとりをひたすら繰り返す水掛け論になっている
ように思います。
どんなに表現を変えようとも、私にはやはり我慢でしかなく
闘いでしかありません。受け流したり、雲のように扱ったり
できるのはよほど軽い強迫観念のときで、常々感じるものは
応用が効くようなものではありません。
段階的に曝露反応妨害法をすることによって、徐々に軽い強
迫観念から強い強迫観念に対応していく、という理屈ではあ
りますが、症状に日差、日内変動があるので、教科書通りに
は進みません。現在も万年同じ散歩コースを歩いていますが、
日によって、時間によって強迫観念の出方がちがいます。段
階的に対応し、徐々にレベルアップしていくということが、
実際は困難です。カウンセリングも同様に行き詰まりを感じ
ています。
3月から始めた栄養療法の著者は「(効果は)ゆっくりと待つ」
と言っています。また、精神科医である著者は、生真面目に診
察を受ける必要はないとも言っています。心療内科に通うのも
「ひとまず」、カウンセリングも「ひとまず」で、ゆっくりと
待つ、それしかないということかと思います。
普通の生活ができるように待つこと30年、もはや焦ったところ
で、結婚したりすることもなく、あとはただ生活に困らないよ
うに生活設計していくだけなのですが・・