デイサービスの有用性と、両親の衣事情。

両親は、新しい服や下着を

買って持って行っても、

すぐ忘れてしまい、

自分のものと認識できず、

使わず放置される場合が

ほとんどです。

 

また自分で洗濯することは

なく、汚染したものを

着回ししている状態です。

 

デイサービスに行っていた頃は、

行く前に、やや強引に着替えてもらうので、

新しい服や下着を使うことができました。

 

また、デイサービスから帰って

来てから、着替えることなく、

数日はそのまま過ごすので、

比較的、清潔な状態を維持

できていました。

 

ただ、一旦脱いでしまうと、

新しいものは自分のものと

認識できないので、

放置されることになります。

 

とはいえ、放置されたものを

洗濯し、またデイサービスに

行くときに、着てもらうので、

服や下着の清潔を保つという

意味で、デイサービスは大きな

役割を果たしていました。

 

両親は、自分たちの服や下着を

私が洗濯しているとは、

まったく思っていないので、

私が洗濯、コインランドリーと

動いていると「落ち着かない」と

批判的です。

 

洗濯に限らず、両親がいない間

のほうがやりやすい作業は

あるので、それもデイサービスの

ありがたい点です。

 

デイサービス再開の目処は

立っておらず、現在、両親の

衣事情は厳しいです。

 

唯一の成功は、父のズボンです。

サラリーマン時代に履いていた

スラックスを好み、常に履いているので、

かなり汚染状態にありました。

 

汚染だけでも問題でしたが、

裾は破れて引きずって歩き、

膝等が大きく破れても、

そのまま使い続けておりました。

 

ジャージ等に替えるよう勧めても、

ラインが入ったようなズボンは

イヤとのことにて、替えては

くれませんでした。

 

結局、私がユニクロに行き、

エストや股下は推測で、

スラックス系のズボンを購入。

これはあっさりと父が受け

入れてくれました。

現在は比較的清潔なズボンを

履いています。

 

父も母も、服や下着に関しては、

しっかりできていない自覚はなく、

私に干渉されることを好まず、

なかなかコントロール

難しいです。

 

やはりこういった場合

デイサービス等、

三者的な強制力が大変

ありがたいです。