小規模多機能型居宅介護(小多機)のスタッフの方から説明を受けました。

小規模多機能型居宅介護のスタッフ

の方から両親同席の上、説明を受け

ました。一番の問題は、両親ともに

受け入れが悪かったことです。

 

1分前の記憶がない母ですが、スタッフ

の方が帰ったのち「あの人たちは何?」

と極めて不審そうな反応をし、比較的

記憶が保たれる父は、その後、ずっと

不機嫌なままでした。

 

スタッフの方から様々な質問を受け、その

中には、父にとって不快な内容もあったと

思います。

本来、本人の前では言わない内容の回答を

私がすることもあり、すべては理解できない

までも、それは日常生活のかなりの部分が

要介護状態にあることを指摘するものであり、

受け入れがたいものであったとは思います。

 

ただ、小多機への移行という今回の試みは、

もはや、両親の為というより、私の負担

軽減がメインな目的になっているので、

私としても躊躇していられない部分があり

ました。

 

私の介護負担に関しては、親族から常々

無視されがちです。私が精神的な不調を

訴えても「そんなことを言っている

場合ではない」と反応されるか、もしくは

スルーされるかです。また、外部から指摘を

受けたように、現ケアマネさんが私の精神的な

要素を加味している様子はなく、私の周囲に、

私の負担を考慮する環境はありません。

 

これまでも自分を守る方法を模索はして

きましたが、これといってありませんでした。

周囲に期待しても「誰も助けてくれない」

ことを再認識するだけでした。

 

それにしても、両親の受け入れの悪さは

毎回、精神的に堪えます。受け入れが

悪いだけでも不安ですが、いざ、新たな

サービスが始まると、両親が概ね混乱を

起こし、その調整に奔走することになります。

 

日中の見守りから夜の電話対応まで、

朝から晩まで父母の「どうなってる?

これはなんだ?」という疑問や批判に

応え続けなければなりません。また、

それが生みの苦しみで、その後軌道に

乗るならまだ救われますが、混乱だけ

起こし、軌道に乗ることなく終わる

ことも充分あり得ます。

 

これまでもそういったことが際限なく

繰り返されてきたような錯覚に襲われ、

新たな試みにはつい二の足を踏んで

しまいます。

 

チャレンジするしかありませんが、

今はどうにも気力が出ません・・