認知症、理解できないものへの怒り。

母が3回目のワクチン接種について、地域からの

お知らせを読んでいました。そもそも理解が難しい

上に、今年の夏に2回目のワクチン接種を終えている

ことを覚えていないので、なんのことやらわからない

様子でした。母が父に声をかけ、父がそのお知らせを

読み始めましたが、理解力の低下は母ほどではないものの、

父もワクチン接種の記憶がないので、お知らせが理解

できません。お知らせの書き方が悪いと怒り出しました。

 

なんとか、話題を変えようと、私が冬季オリンピック

話題に変えてみましたが、それもわかりにくかったようで、

ますます父の表情が険しくなりました。さらにもっと簡単な

庭木を切った話に変えてみましたが、もはや「もう、わからんわ」と、

すべてが理解を越える状況に、ますますイラ立っただけのようでした。

その後、少しでもウトウトすれば、多少リセットされたと思いますが、

そのまま昼の配食サービスとなり、介護スタッフには「配食サービスの

意味がわからん」、私には「なぜ、説明しない」と突っかかるばかり

でした。

 

認知症であるから、やむを得ずではありますが、こうした

やり取りの繰り返しに、心底疲れます。原則、怒らないよう

に対応しますが、サッと帰る場合もあります。もちろん

帰ることに対しても、批判を受けますが、このやり取りを

繰り返すほうが、よっぽど堪えるからです。

 

我々がスマートフォンやパソコンの使い方がわからず、イライラ

するように、理解や知識を越えるものに腹が立つのはわかります。

だからといって、人に怒っていいわけではありません。それは

認知症であっても同じだと思っています。もちろん、それができない

のはわかります。だから父に怒ったりはしません。ただ、理不尽な批判を

ひたすら受け続けることも、また道理に合いません。だから、サッと帰ること

があります。

 

なので、父や母がどんなに機嫌が良さそうな時も、気を抜いていません。

いつでも帰れるように、必要最低限な用事や確認を真っ先に終わらせます。

 

今日もキリのいいところで帰ることにしておりましたが、帰ろうとした

矢先、父が通帳を持ち出し、何やら始めました。それに付き合う気力は

残っていませんでしたが、少なくとも、通帳を定位置に戻すのを確認

してから帰ることにしました・・