私が、父の手の腫れを骨折だと勘違いして以来、
急遽叔父に、母の留守番付き添いを依頼したり、
夜は、実家泊まりで様子を見たり、と生活の
変化と、今後の心配で、私の頭が悪化しています。
ひとまず父の手は落ち着いたものの、
目下、トイレの漏水問題を解決しなければなりません。
そういった系統だった行動が、いまの私の頭には苦しい
課題です。
先日、情報を調べ、辛うじて水道工事の業者さんに
電話し、その日の夕方、トイレの様子を見てもらえる
流れになりました。
なんとか夕方まで実家に待機し、この問題を解決に
近づけなければという思いはあったものの、
いつものことではありますが、両親の何十回と同じ質問、
ほぼ10分ごとの呼び出しといった、介護状況に
頭が狂いそうになり、やむを得ず業者さんにキャンセル
の電話をし、ひとまずアパートに帰りました。
トイレ工事の件がスムーズに進むか?といった不安が
徐々に肥大する中、今回に限らず、私の頭が調子が悪く
なった時、介護保険は動いてくれないこと、動いてく
れる身内も身近にいないことなどを再認識し、
平たく言えば「いざというときは誰も助けてくれない」
という思い強く、ますます頭が鬱、強迫の方向へ悪化
しつつあります。
介護保険はシステム上やむを得ないとわかっていても、
父の手が腫れてどうしよう?と焦っているときに
配食サービス。トイレ問題の解決を焦っているときに、
掃除サービス。目下早急に動かねばならないところに
手が届くことはありません。
私が入院でもしない限り、この状況は変わらない・・
のでしょう・・