親の介護が終わった後の、将来不安について考える。

認知症の介護は、本人からはもちろん、身内から

もあまり感謝されない場合が多いようです。

どんな苦労があるかわかりにくいのも一因かと

思われます。周囲から認知症の介護について、

ああすれば、こうすれば、といった助言を受ける

ことは多いですが、概ね、その助言は通用しない

からです。

 

一日のうちに、母からは何十回と同じ質問を受けるの

が常です。「紙に書いておけばいい」「真摯に向き合って

説明すればいい」など、いろいろ助言を受けますが、概ね

通用しません。

 

介護している間は、身内から感謝されることもあるかも

しれませんが、介護が終われば「それはあなたが選んだ

道」といった扱いを受けることが多く、逆に「介護に

(親の)お金を使い過ぎた」といった批判を受けることも、

珍しくないようです。ましてや、私は精神疾患ありの無職、

批判しやすい対象でしょう。

 

今からできることはないか?時として考え込みます。

 

親の介護をした分、相続が増えるといったことも原則

ありません。父がしっかりしている頃に、その意思が

あれば可能ですが、当時、私と父の関係性は、神経症

や結婚していないことへの批判で満たされていたので、

相続について話し合うことはほぼありませんでした。

ただその頃、父は第三者から指摘を受け、私に介護

相当分の相続をするとしていました。また今もそう

いった発言はありますが、形として残ることなく

現在に至ってしまいました。認知症が進んだ今と

なっては、それを形にすることはさらに困難。

現状では、正式な遺言を書いたところで、認知症

理由に、法的な拘束力を持つか否かは微妙です。また、

今から遺言書の作成を進めるとなると、身内に火種を

まくことになるでしょう。それは父の死後憂慮される

火種よりは小さいかもしれませんが、よほど信用できる

アドバイザーがいない限り、積極的に進めたいものでは

ありません。

 

you tubeで、比較的支持を得ている方の意見と思われ

ますが”介護はプライベートでも、仕事でもするべき

ではない”といったものがありました。その根拠を聞け

ば、納得と同時に怖くなりました。自分に明るい未来

はないということを指摘されているからです。

 

一度、面識のある弁護士に相続について相談したこと

はありますが、結論的に「問題が起こってから来て

ください」といった風情で、私の将来不安に対し助言

がもらえるような雰囲気はありませんでした。ただ改め

て考えても、やはり介護が終わった後の自分が、理不尽な

扱いを受けないよう保険としての対策を打っておくことは

重要であると思います。実際に使うことはないにしても、

いざというときはこれを使うという保険的対策は必要だと

思います。

 

介護をしながら、自分の将来について積極的に考えるのも

大事。また介護問題が自分の肩に重くのしかかってきたとき、

”自分にも人生がある”ということを再認識することで、発想が

柔軟になるのではないかと思います・・