このところ、障害者基幹相談支援センターにて
ヘルパーサービス利用について話を進めています。
ヘルプカードからヘルパーへ一足飛びに移行するのは
申し訳ない思い強く、抵抗がありました。ただ心情的
には申し訳ないと思いつつも、強迫性障害独特の必要
性を感じ、お断りしませんでした。
もちろん単純に助けてほしいという思いもありますが、
(必要性を感じる三つの理由)
①介護が休みの日に行動療法をして、ある程度の効果を
得たとしても、その他の日、介護の帰り道でひどい確認
をしてしまったら、効果は相殺されるどころか、トータル
でマイナスになると思います。現在の悪化はそのマイナス
の蓄積によるように思うので、ヘルパーさんと一緒に歩く
ことで、帰り道の負担を軽くし、少なくとも行動療法的に
大きなマイナスを生じさせないようにすれば、症状は改善
するのではないか?と思っています。
②順調に話が進めばサービス利用となるわけですが、
もし手続きが進むにつれて症状が改善してきたら、
せっかく関係各所に手配してもらったのに、お断り
することになります。改善は非常に喜ばしいこと
ですが、時間をかけて進めてきたものが、自分の
症状ひとつで、無駄になってしまう・・という
懸念があります。平たく言えば「いま治ったら
気まずい」という状況になるわけですが、そう思えば
思うほど、精神症状は改善するのではないかと考えて
います。これまでは、ひたすら「治りたい」と思って
治らなかった強迫です。ここで「治ったら気まずい」
という心理が働くことで、逆に改善するのではないかと
期待しています。
③現在、障害者手帳、ヘルプカード等、利用していますが、
あとになって、私がどのような状態で親の介護をしていたか?
ということはあまりわかりません。ヘルパー利用等進める
ことで、私の症状が具体化され説明しやすくなります。
両親他界後、介護者であったものは何かと批判されがちです。
「ああすればよかったのでは?、もっとこうできたのでは?」
等。それに対し私の状態が具体化することで、説明は容易に
なり、周囲の納得も得られやすくなるように思っています。
①が行動療法的な必要性です。②は心理的な必要性、③は
介護に関する対外的な必要性です。②③は思う通りの結果
が得られるとは思いませんが、できることはしておきたい
という思いです。