強迫症に対する曝露反応妨害法とは・・ただの(確認)ガマン療法です。

常々な余計な確認ばかりしている私ですが・・

その中には「あとで気になりそうだから」と思って事前に

確認するもの、「いつもここで確認しているから」と思って

習慣的に確認するものが含まれます。ひとまず、これらの確認

をしないようにしていく、というのが目下の課題のひとつです。

 

ただ・・

①確認したいから確認する(気になるから確認したい)。

②後で気になりそうだから確認する(後で気になりそうだから確認したい)。

③いつもここで確認しているから確認する(いつも確認してるから確認したい)。

・・と確認欲求がないのに確認しているシーンはありません。

まず欲求が存在し、次にその種類があります。②③の欲求が、比較的弱く、

②はそのまま忘れてしまうかもしれないし、③はスッキリしないだけ、とも言え

ます。まずはおおまかに分類し、思考の及ぶ限り、確認欲求の弱いものから削ぎ

落していくのが無難かと思います。①でも弱いものはあるでしょう。

 

確認欲求が弱ければ削るべきです。ただ、見るものすべてが気になるような強迫

症状に陥っているときは、もはや思考は及ばないので「可能な限り確認しないように」という、漠然とした方針を踏襲するので精一杯です。

 

これらが明確に自分の中で区別されていることはないので、常に「これはどの確認か」

という判断を迫られることになります。それらの境界線も不明瞭で、いちいちそれについて考えなければなりません。判断を迫られている時点で、それらは概ね強迫観念であり、確認の必要はないものです。本来、判断する必要なくスルーすべきものですが、最初からすべての強迫観念をスルーするのはハードルが高いでしょう。なので段階的に、まず②③から削っていきます。となると、やはりいちいち判断が必要です。

 

「判断の必要はなく、すべてスルーすれば良い」というアドバイスは残念ながら酷なアドバイスといえるでしょう。

 

私の通うルートは「実家→最寄り駅①(電車移動)最寄り駅②→アパート」です。

引き返すのが困難な「実家→最寄り駅」に関しては、現時点で、今以上の負荷をかけるのは難しいと思っています。すでに”引き返すのが困難”という要素が大きなプレッシャーになっているからです。

 

大きなプレッシャーがあるところでは、綱渡り様に緊張しています。肩の力を抜くことさえも難しいです。息切れしているのに喘ぎ声を隠すようなことになるからです。

 

実家→最寄り駅①に関しては、これ以上の負荷はかけられないとして、最寄り駅②→アパートは引き返し可能範囲なので、負荷をかけることが可能です。ただ、残念ながら、実家→最寄り駅①の行程で、かなり消耗しているので、引き返しは可能だとしても、今以上の負荷をかけるのが困難です。消耗することで、見るものすべてが気になるような精神状態に陥っているからです。

 

ここしばらくの方針としては、やはり、散歩、コンビニ買い物、コインランドリー等の曝露を強化していくことかと思います・・