強迫性障害のメタ認知・・知識でメタ認知はなんとかなるか?

メタ認知」という言葉はわかりにくいですが、

平たく言えば自分を客観的に見ることであった

り、洞察することです。

 

強迫性障害にあっては、メタ認知は大きく阻害

されます。強い不安が想像に与えるリアリティ

ーが強すぎて、現実を見失います。

 

基本的には、認知できない感覚のまま前に進む

しかありません。

 

ストーブのスイッチが「切」になっていても、

どうにも確信が持てません。そこで何度もスイ

ッチを入れたり、切ったりします。すると今度

は余計なことをしたから壊れてしまって「切」

にはなっているが実際は切れていないのではな

いか?・・と、新たな不安を見出したりします

が、そこで確信のないまま前に進むしかありま

せん。

 

ただ前に進む、というだけでは難しいので、

「2回ルール」などを持ち出します。2回確認し

たら良しとする、と決めて、無理やりその場を

離れます。

 

多くの場合、時間の経過と共に不安は軽減し「

まあ、大丈夫であろう」「2回確認したんだから」

といった考えに至ります。

 

ただ、運が悪いとなかなかそこに行き着かず、い

つまでも不安に苦しむことになります。原因は脳

疲労であったり、コンディションにもよると思

います。そういった経験が災いし、ますます確信

のないまま前に進むことが難しくなります。

 

2回ルールなどで、その場を離れるといった方法に

加え、理屈を持ち出すのも有効です。

①常識

不安でオロオロしているときに、常識を持ち出すの

も大変なのですが「スイッチが”切”になっていたら

普通は大丈夫」など考えます。オロオロしていると

きに考えるのはなかなか難しいので、日頃から、そ

ういったときはこう考えると、シュミレーションし

ておかないといけないでしょう。

①いつもストーブを切るときにオロオロしてしまう、

②そのときは「スイッチが”切”になっていたら普通

は大丈夫」と考える、

③それでもダメなら2回ルールを持ち出して、2回確

認し、その場を離れる、

といったように準備しておきます。

 

②強迫の知識

「スイッチが”切”になっていたら普通は大丈夫」と

頭ではわかるけど本当に大丈夫か?と自分の考えに

自信が持てなくなったときこそ、まさに強迫症状の

渦中にある、ということを知っていることです。自

分の考えに自信が持てない、判断に迷って苦しんで

いる時点で、それは症状です。症状に過ぎないので、

前に進むべきです。これも日頃シュミレーションし

ておかないと、いざというときに使えないと思いま

す。

 

私は作業所に行く朝、日中アパートを空ける不安で

確認がひどくなります。部屋を出る時点ですでにか

なり確認が多くなり、アパートの扉から出る頃には

ひどい確認をしてしまいます。床、すべての壁、扉、

を確認しますが、どうしても安心ができず、何度も

確認してしまいます。やはり常日頃から、

①2回ルール

(2回見たから、もうヨロシイ)

②常識

(どう見たって誰もいないのだから、人にぶつかっ

て倒したりしようがない、加害が起こりようがない)

③強迫の知識

(何も問題がないように見えるが確信が持てない時

点で、強迫症状の渦中にあるのだから、それは症状

に過ぎない、前に進むべき)

これらを意識していたほうが良いと思います。

 

知識や理屈に加え、言語化も有効かもしれません。

知識を頭の中で反芻するだけよりも、言葉に出して

しまったほうが、安心する場合があります。”そん

なことはあり得ない”と考えるだけでなく、「そん

なことはあり得ない」と口に出して言います。

 

私は加害強迫が強いので、人がいなければ起こり

ようがない強迫です。一連の理屈から「人がいな

いから、加害はあり得ない」と口に出すのが良い

ように思いますが、まず「人がいない」という確

信が持てません。また”人がいなくても他に何か問

題があるのでは?”という不安も湧きがちなので、

このところ「問題が見いだせないから、どうしよ

うもない」というワードに落ち着いています。そ

の場で思いつく問題がなかったら、少なくとも「

もっと確認しておけば良かった」という後悔は起

きにくく、諦めがつきやすいです。

 

「人がいないから、加害はあり得ない」とピンポ

イントで責めるもよし「問題が見いだせないから、

どうしようもない」と、やや弱いがオールマイティ

ーに攻めるのもよし、要はどちらで行動療法が進み

やすいか、しっくりくるかで判断すれば良いと思い

ます。