強迫観念の扱い方、理想と実際。

ちょっとした強迫観念なら、思い出して理屈で考えて安心

してしまうことがあります。それも安心したところで考える

のをやめないと新たな強迫観念を生んでしまうので注意が必要

です。

 

強迫観念を思い出したときに、理屈で考えてみるか、意識を

逸らして別のことを考えるようにするか、というのは賭けの

ようなものです。

 

理屈で考えて、ますます不安になる場合もあれば、何度意識を

逸らそうがしつこく追いかけてくることもあります。

 

ただ、これらはあまり良くないとされている対応です。

理想的には打ち消さず、議論せず、雲のように扱うのが良いよう

です。前置きから書けば・・

①強迫観念は不快だが危険ではない。

②強迫観念はあなたの考えではない。

③強迫観念を打ち消すのは良くない。

④強迫観念と議論するのは良くない。

⑤強迫観念は雲のように扱う。

・・といったところのようです。どこかで聞いてメモをして

いたものなので、出典はわかりません。

 

つまり、理屈で考えてみて安心するのはダメ。意識を逸らすのは

辛うじて⑤とカブるところがありますがイマイチ。客観視や傍観、

俯瞰するのがベターなようです。

 

つまり、強迫観念をそのままにしておいて、心の空に浮かべて

おくのがベストということですが・・これは苦しい・・

 

いずれ雲は消えていくという理屈ですが、喉に刺さった魚の骨を

そのままにしておくようなもので、かなり不快です。

 

ちょっとした骨であれば、カーーッとしたら取れるかもしれない。

取れそうな骨でなければ、取れるまでテレビでも観ていよう・・

というのが常々の私。

 

理想的には、カーーッとすることもせず、テレビを観ることせず

「骨がそこにあるんやね~だから?」と傍観しておくということです。

酷な話です。でもそれが行動療法です。

 

カウンセラーさんでさえ、「行動療法はガマン療法です」といっても

ピンと来ないようです。

 

骨が刺さると痛いです、呑み込みが不快です、このまま取れない

かもしれないので不安です。起きている間中、この状態と闘い

続けるのは甚だ困難です。

 

障害者支援センターの方が「あなたはできてますよ、頑張ってますよ、

その調子でいきましょう!」と励ましてくれます。それは非常に

ありがたいのですが、時には手助けがほしいのが正直なところです・・